ゴミ屋敷におけるファッション関連のあるあるは、切実さと皮肉が入り混じっています。クローゼットやタンスの前にゴミが積み上がると、物理的に収納を開けることができなくなります。その結果、住人は新しい服を買っては使い捨て、あるいは部屋の隅に放り投げるようになります。清掃の現場では、山のようなゴミの中からタグが付いたままの新品のブランド服が、カビや虫にまみれて発見されることがよくあります。かつてはお洒落を楽しんでいたであろう住人が、鏡を見る余裕さえ失い、いつしか同じ服を何日も着続け、汚れが酷くなれば捨てるという生活に堕ちていく。この「洋服の墓場」とも呼べる光景は、自己イメージの崩壊を如実に表しています。また、洗濯機がゴミに埋もれて使えなくなっているため、コインランドリーに行くことすら億劫になり、溜まった洗濯物が山を成して部屋の面積をさらに削っていきます。異臭が染み付いた服を着て外出することは、住人にとって社会的な死を意味しますが、彼らはその臭いに慣れてしまっているため、周囲の視線に気づかないこともあります。清掃中、ゴミの底から思い出の詰まった晴れ着や大切にしていた服が見つかった時、住人はかつての「綺麗だった自分」を思い出し、深い後悔に襲われることがあります。物を大切にするということは、自分自身を大切にすることと直結しています。毎日、ゴミを一つだけ捨てる。床に物を置かない。そんな小さな習慣の積み重ねが、強固なゴミ屋敷の壁を崩す唯一の方法です。また、社会との繋がりを持ち続けることも再発防止には欠かせません。誰かが自分の部屋に来るかもしれない、という緊張感は、掃除を続けるための最大の動機付けになります。ゴミ屋敷を卒業することは、過去の自分を否定することではなく、新しい、より自由な自分を受け入れるプロセスです。ゴミに埋もれた洋服を救い出すことはできませんが、それを教訓として、新しい、自分に相応しい服を着て外を歩く喜びを再発見することが、再出発のための重要なプロセスとなるのです。
洋服の墓場と化したクローゼットの惨状