ゴミ屋敷の住人と会話をすると、必ずと言っていいほど「これはまだ使える」「いつか必要になる」という、物を捨てないためのもっともらしい理由を並べるあるあるに遭遇します。客観的に見れば、明らかに壊れている電化製品や、カビの生えた食品、何年も使っていない空き箱であっても、彼らの主観的な世界では「価値のある宝物」として認識されているのです。この認知の歪みは、物を失うことへの強い不安や、過去の喪失体験から生じる心の防衛反応である場合が多いと言えるでしょう。例えば、幼少期に貧困を経験した人が、反動で物を溜め込むようになったり、最愛の人を亡くしたショックで、その人がいた時代の空気を変えないために物を捨てられなくなったりするケースです。彼らにとって物を捨てることは、過去との繋がりを断ち切ることや、自分の一部を削り取られるような激しい痛みを伴います。そのため、清掃業者がゴミを袋に入れるたびに、「それはまだ使うから入れないで!」と強い抵抗を見せることもあります。しかし、その「いつか」は永遠に来ないのがゴミ屋敷の現実です。山積みになった物は、住人を支えるどころか、現在と未来の可能性を奪い去ってしまいます。片付けの過程で、住人が自分の持っている物と向き合い、本当に必要なものだけを選び取る作業は、自分の内面を整理する作業そのものです。「使えるかどうか」ではなく「使っているかどうか」という基準を導入し、今この瞬間を生きるためにスペースを空けることの大切さを理解してもらう。ゴミ屋敷化は、住人の心の余裕が失われた際に、物理的な空間がその空白をゴミで埋めようとするかのように進行していくのです。この心理的なサポートこそが、ゴミ屋敷を物理的に解体する以上に困難であり、かつ重要なプロセスなのです。清掃によって手に入れた広々とした床は、住人が新しい人生を歩み始めるための、何物にも代えがたい真っ白なキャンバスなのです。
捨てられない理由を正当化する認知の歪み